貢献スタイル副業コーチ 田中翔太のヒストリー

2021年7月29日

【勉強嫌いのフリーターから起業家を目指す】

東京都墨田区生まれ。
勉強嫌いで高校時代はほぼ全教科で赤点を取り、
単位ギリギリで何とか卒業。

大学に進学できずフリーターとなる。
週6でアルバイトをする生活。

そこでの経験から
お金を稼ぐことの楽しさを覚えて、
将来、起業家を目指すことを決意。

 

【経営学を学びながらSNSを通じて1000名の人脈をつくる】

アルバイトで学費を稼ぎ、
経営を学ぶための専門学校に通う。

専門学校のクラスメイトには
自分と同じように将来、起業家や経営者を目指す。
志の高い人が多くいて、刺激を受ける。

人生はひとつの出会いで大きく変わることに気づき、
当時、流行っていたSNS『mixi』を活用し、
起業家・経営者・投資家を中心に1000名以上に人と繋がり
専門学校の授業が終了後に人と会い、
インタビューをするという新たな活動に目覚める。

この時期に培った人脈や経験を活かし
営業コンサルティング会社への就職が決まる。

 

【新卒で勤めた会社をわずか半年で辞めて独立
 月収2000円で生活ができなくなり金融ブラックリスト入り】

新卒で入社した営業コンサルティング会社に
勤め始めて2か月で会社と自宅の往復だけの日々に嫌気が差し
会社員は自分には向かないのではないかと感じて
入社からわずか半年で独立・起業を決断。
(ここがすべての失敗であったことに後に気づくことになる)

後先考えず、勢いで独立したため
何の準備もなく食いつなぐために
フルコミッション(完全歩合制)の営業にチャレンジする。

新卒から半年で何の経験も積まずに
辞めてしまった人間がそう簡単にうまくいくはずもなく
全く売れずに最高月収2,000円という苦痛を味わう。

何とか現状を打破するために
自己啓発や能力開発、営業プログラムなどに
多額の自己投資をする。

 

しかし、現実はなかなか変わらず
稼げない日々が続き、まともに生活ができないため
クレジットカードのリボ払いとキャッシングで何とか食いつなぐも
返済できなくなり、金融ブラックリストに入る。
借金を背負う。

※金融ブラックリストとは
クレジットカードの作成や借入が一切できなく
なってしまうこと。

 

【望む成果をつくることができない
モヤモヤした現状を打破するため複業家への転身を決意】

自己投資の成果が徐々に出始め
立ち上げたイベント・スクール事業で
何とか生活できるレベルの売上をつくる。

6年間で延べ1万人を超える
ビジネスパーソンの集客にも成功する。

しかし、当時のビジネスモデルが
低単価だったこともあり
どんなに頑張っても月収は50万が最高。
安定もしない。
(求めている成果はもっと高い)

 

このままでは望むライフスタイルを実現することが
難しいと思い、
新しい発想で複業家への転身を決意する。

仮に1つのビジネス収入で月50万だとしても
2つあれば月100万、3つあれば月150万となる。

1つのビジネスで大きな収益を得るよりも
複数に分散させた方がうまくいくのではないかと
感じていた。

また収入源が複数あれば
1つ目は生活や貯蓄に使う。
2つ目は趣味や旅行に使う。
3つ目は資産運用や自己投資に使う。
など

用途を使い分けることで
より豊かなライフスタイルを実現できると考えた。

この「複業家」という考えが
バチっとハマり
これまでの最高月収・最高月商をどんどん塗り替えていった。

借金も完済し、金融ブラックリストからも脱却。
クレジットカードのプラチナカードを持てるまでに
信用も回復した。

 

【3つのビジネスを同時に展開しながら
 新しい副業のかたちを社会に普及させるコーチとして活動】

現在は「研修・コンサルティング会社の執行役員」
「コミュニティー事業の代表」「貢献スタイル副業コーチ」
3つのビジネスを同時に展開している。
副業の位置づけで活動するコミュニティー事業の年商3,000万超え。

経済的にも精神的にも余裕が生まれ
趣味のゴルフや旅行を楽しんだり、
家族との時間もつくれるようになった。

貢献スタイル副業コーチとして、
自身と同じく複数の収入源をつくり
趣味、やりたいことを好きな時に好きなだけできる
充実ライフスタイルを実現する
ビジネスパーソンを輩出することをミッションに
活動している。